「パプアンバス」それは世界の果て、夢をくれる命の名前 _ パプアンバス釣行記【インドネシア/パプア州】

ーー2024/01/01 14:00

出会いは突然だった。 だけど、体は勝手に反応してくれた。

大きな倒木とブレイクが絡み、岸際にも関わらず十分な水深がある。まるで教科書に載っているようなポイントだった。 これまで流して来た中で圧倒的に1番のポイント。

 

「ここしかないだろ」

 

釣ったことのない魚だったが、なぜか確信がある。 本命ポイントはすぐにはキャストはせず、船の速度に合わせて1番いい角度になるまで待つ。 落ち着け……落ち着け…… 絶対に出る。間違いない。 その1投目。 ポイントの少し奥に落ちたディープクランクは複雑に絡み合った倒木の根元へと吸い込まれていく。

やがてリップが倒木を突く感触が伝わってくる。ラインテンションを手がかりに、それらを一つひとつ抜けていく。 根がからないように、絡まないように、ゆっくりと。慎重に。

 

最後の枝を躱した瞬間、握り込んだ右手の中に強烈な衝撃が走った。

 

Prologue:世界の果てを想い、「パプアンバス」という名前を想う

時は13年前に遡る。

2011年4月。私は大学進学のため群馬にいた。

第一志望の大学に落ち、進学したのは滑り止めで受かったさほど興味のない大学。とりあえず大学を出ておいた方が就職に有利だからというだけの理由で進学した。将来のこと、やりたいこと、全ての計画が0になり、私には何もやることがなかった。前月に発生した東日本大震災の影響を受けて大学は休講。初めての一人暮らし。静かな部屋のベッドの上で、有り余る時間を「将来のことを考える時間」に充てていた。

大学で得られるスキル、それを活かした就職。仕事のこと。人生計画のこと。年を取って。体が動かなくなって。言葉を失って。その瞬間に自らの人生を振り返り、果たして笑っていられるか。

高校を卒業したばかりの小僧の知見で描ける未来図はどれも陳腐なものばかりで、これから数十年を費やして目指すものとしては気が滅入るものばかりだった。

自分は何歳まで、何を目指して生きるのだろう。何を成し遂げて死ぬのだろうか。

 

ーー

 

ある日、何気なく入った本屋で一冊の本がふと目に留まる。

それは自分と歳の変わらぬ青年が、釣竿を片手に世界中を駆け回る冒険譚をまとめた本。自分のまだ知らない、眩い光に溢れた世界がそこにはあった。夢中で読み進め、半分ほどを読み終わったところで目にした「世界最強の淡水魚」の称号を冠する魚。高鳴る心臓が一際大きく跳ねるのを感じた。

 

「そうだ。どうせ全部失くした身だ」

「だったらこの命、やりたいことのために使おう」

 

その2年後の夏休み。私はバイトで作ったなけなしの旅費を握りしめ、パプアの地を踏むことになる。恐ろしく高額なフィッシングツアーに参加する資金力はない。バックパックひとつで言葉の通じぬ世界に降り立った。

一ヶ月の旅程で得た成果は0。釣りの技術も旅の技術も未熟な自分は、世界最強の淡水魚が住まう水域にたどり着くことすらできなかった。最終日の帰り道、あまりの悔しさに慣れないタバコを吸いまくり、湿地帯のど真ん中で全身が痺れて動けなくなった。

 

朦朧とする意識の中、いつか、必ず、帰ってくると誓った。

それから大学を卒業し、東京で社会人として仕事をこなし、コンクリートマンションの間を駆け回っているうちに、気づけば10年もの時が流れてしまった。

仕事はそれなりに上手くいっていたし、実際楽しく充実もしていた。だけど、心のどこかで燻る火は一向に消える気配を見せなかった。

 

10年越しのパプアに降り立つ

飛行機から降りると、生暖かい風が頬を撫でる。熱帯特有の湿度を含んだ空気。深く息を吸い込むと、夢と憧れが詰まった香りがする。

2024年12月末。私は10年振りにインドネシアの地を踏んだ。首都ジャカルタから国内線2~3本を乗り継いでニューギニア島へ向かう。インドネシアの東部にあるニューギニア島は、島の東側半分が「パプアニューギニア」、西側半分が「インドネシア」である。今回向かうのは「インドネシア」側の地域。

10年前、初めてパプアンバスを狙いに行ったのもニューギニア島のインドネシア領だった。当時はパプアンバスと言えば「パプアニューギニア」での釣行が主流であり、インドネシア領は日本人アングラーの手が入っておらずある種未開の地であった。

 

誰かの後追いとなるパプアニューギニアではなく、自己開拓となるインドネシア側で成果を得たい。

学生の自分は、誰もまだその目で見ていない、隠された真実を明らかにすることにロマンを求めていた。初めてのパプアンバスを手にするならニューギニア島。それもインドネシア領にしたかったのだ。

日本から乗り継ぎを含めておよそ11時間。ジャカルタのスカルノハッタ国際空港に到着。空港周辺で一泊し、翌日の国内線でニューギニア島に向かうスケジュール。荷物を受け取り宿へ向かう。

早速怪しげな水路!

宿の近くにちょっとした水路が流れていた。よく見ると水面にところどころ波紋が立っている。しばらく観察していると、小さな魚が水面で呼吸をしているのが見えた。

さっそくライトゲームタックルにスピナーを一個だけ結んで出撃!

異国の魚は誇張抜きで「全てが面白い」。生態、食性、形状。特に淡水魚は各地域でガラパゴス化しており、日本で見る魚たちとは掛け離れた生物が存在する。だからこそ、どんなに小さい魚であっても狙ってみたくなるってワケ。

しかし、川沿いを数kmランガンするも特に成果はなし……ちゃんと他の仕掛けやルアーも装備してくればよかった……!

 

宿に戻る途中で適当なメシ屋に入る。

猫に狙われている

インドネシア語は日本人にとって「発音しやすい言語」で、書いてあるアルファベットをローマ字読みするとだいたい伝わる。なので、こういうメニューの注文自体はものすごく簡単。もっとも、言葉の意味は理解していないので何が出てくるかは「出てきた時のお楽しみ」になるんだけど……

 

なんだか凄そう

これは「Bawal Bakar Dabu-dabu」。Bawalがマナガツオ、Bakarはグリル、Dabu-dabuは謎(笑)

焼いたマナガツオに長ネギ、玉ねぎ、トマト、唐辛子、にんにくを炒めた具材兼ソースのようなものがかかっている。正直鮮度も不安だったけど、食べてみたら臭みも全くなくめちゃくちゃ美味かった。インドネシアの料理の味付けはすごく日本人と相性がいいと思う。唐辛子だらけなので辛いのがダメな人にはちとツラいかも知れんが。

この日はライスとこのダブダブ(謎)を食べて、宿に帰り就寝。久々のインドネシアだし思いっきり楽しみたい気持ちもあるけど、あくまでも本番は明日以降のパプアということで。

 

ーー

 

翌日、はやる気持ちを抑えきれず、飛行機の時間より大分早く宿を出て空港に向かった。

とはいえやることもないので、外の喫煙所ですっかり慣れたタバコを燻らす。喫煙所にはヒマそうなオッサンがたくさんいる。こういうところでダラダラしてると、面白いことが向こうから転がってくるモンだ。

 

「火、貸して」

早速、大荷物のオッサン2人に話しかけられる。

「いいよ。おっちゃんたちどっから来たの?」

「スラバヤの方から。ジャカルタで仕事があってな。兄ちゃんは?」

「俺は日本から。釣りにしにきた」

「釣りか!めちゃいいじゃん。てかインドネシア語しゃべれる?」

「日本人と話すの初めてだから妻に電話するわ。ビデオ通話するから兄ちゃんも喋って!」

そら来た。だんだん面白い流れになってきたぞ(笑)

 

翻訳アプリを使いながらたどたどしいインドネシア語で、オッサンの奥さんと世間話をする。いきなり謎の日本人と会話させられる奥さんも困っただろうけど、なんだか楽しそうにしてくれてた。

「ホンダ! ありがとう!腹減ってないか? これお礼だ!」

通話が終わると、オッサンがバッグの中から何かを取り出す。やたらデカい豆と、唐辛子で真っ赤な厚揚げ。それからご飯。

「テリマカシー!(*ありがとうの意)ちょうど何か食べに行こうかと思ってたとこ!」

混ぜながら手で食べる

その後、警備員や空港職員、タクシーのオッチャンや掃除のオバチャン、色んな人が会話に混ざったり出て行ったりしながらもオッサン達とダベり続ける。気付けば日も暮れ、フライトの時間が迫ってきていた。

「俺、そろそろ飛行機の時間だから行くよ。ほんとありがと。話できて楽しかったよ」

「おう分かった。そういえばどこまで行くんだ?」

「今日の最後の便でパプアまで。あと飛行機2回乗らないと」

「遠くまで行くんだな。頑張れよ」

「おっちゃんたちも気をつけてね」

名残惜しいが荷物をまとめ、喫煙所を後にする。都合6時間くらいここでダラダラしてしまった。ほぼ最初から最後まで付き合ってくれたオッサン達には感謝してもしきれない。

 

「あれ?おっちゃん達は何時のフライトなの」

俺たちか?俺たちは明日の朝。だからあと12時間はここで待つことになるな!!」

「え……」

 

どういうことやねん!(笑)

やっぱりインドネシアは面白い。明日のパプアではどんな面白いことに出会えるだろう?

 

空港で今回の旅の仲間である田山くんと合流する。軽く夜食をとってフライトに備えた。

ジャカルタから片道6時間、明日の夜明けにはニューギニア島に到着する。

10年越しのパプア、あの日手が届かなかった憧れに想いを馳せて。ジャカルタの灯りはどんどん小さくなっていく。

 

 

協力者を探せ! パプアンバスの村へのアクセス方法を見つけ出す

翌朝、ニューギニア島西部の町であるソロンに降り立った。2時間ほどのトランジット時間を経て、国内線を乗り継ぎさらに奥地へと向かう。

空港のトイレが怪しい……

小さなプロペラ機に乗り込んだ。眼下には緑一色の風景が広がる。街も、村も、道さえも。一つまた一つと消えていく。人の手が一切入っていないジャングルだ。そんな光景に圧倒されていると時間はあっとういうまに過ぎ、やがて飛行機は下降を始めた。

日本を発って2日、目処をつけていた水域の、最寄りの空港にたどり着いた。

 

さあここからが問題だ!

正直、ここまで来ることなら誰でもできる。日本で飛行機を予約して、お金を払って、その時間通りに飛行機に乗るだけだからね。この先はそうもいかない。我々が目指すのはもっともっと先。そして、そのエリアへのアクセス方法はこの時点で不明だ。

令和の時代、WEB上には情報が溢れかえりあらゆる知識にアクセスできるようになった。それでも、世界には日本でどれだけ調べてもわからないことがまだまだ存在する。今回の釣行もその類。現地に行ってみて、どうにかするしかないのだ。現時点でわかっていることはたった2つ。「そのエリアに行くにはボートを手にいれる必要があること」と「ガソリンを自腹で購入しなければいけないこと」。異国の地でこの2つをクリアしなければいけない。

空港内で早速、魚の絵が描いてある服を着てる人に話しかけた。どうやらこの地でダイビングのインストラクターをやっているらしい。名前はmutiさん(ムティさん。我々はムッチーと呼ぶことに)。googlemapを見せながらアクセス方法を聞いてみる。

「ここに行くにはボートマンを雇う必要がある」

「近くの村に滞在するなら、その村の”関係者”を連れていく必要がある」

「一人、知り合いがいるから聞いてみるよ」

初っ端から有力情報をゲット!

他に頼れる人もいないので、まずはムッチーに望みを掛けることにした……

ムッチーが知り合いと連絡を取ってくれている間、私たちは空港を離れ街の方へ向かうことにした。どうせ今日は出発できそうにないし、宿の確保と旅に備えた買い出しが必要だ。

空港を出るとタクシーの運ちゃんが無限に話しかけてくる。その中から信用ができそうな人を選んで、街への送迎を依頼した。目に光があり、血色の良さそうな人を選ぶのがポイント。ボッタクリに出会わないためには顔色で判断するのが大事。

強い意志を感じる

たまにこういう自分、思いっきりボッてやりますよ!みたいな人もいる(笑)

多分、普通にいい人なんだろうな……

釣具屋

 

怪しさ満点のメイドインジャパン

 

タクシーの運転手さんにお願いして、色んなところに寄り道。

この街は、この辺りの地域ではまだ栄えている方で釣り人もいるらしい。必然的に釣り道具を売っているところもあるとのこと。東南アジア特有の物凄く安いmade in japanの釣具を眺めながら散策。そして日本と変わらぬ価格で売られる世界のラパラ。小魚を見かけたら捕まるために、小さな手網を購入した。

街の便利そうなところで宿を取り、周囲を軽く散策してみる。当然のことながら水道水は飲めないので、まずは安全な水と食料の確保が必要だ。もちろん自動販売機なんてものはないので、店がクローズする夜に備えて水分は十分に買っておく必要がある。

路地を歩いていると何やらいい匂いがする。

導かれるように小さなワルテグに入る。ワルテグとは定食屋と屋台がくっついたような場所。店先に複数の料理が並び、好きなおかずを選んでご飯と一緒に一つのプレートにして食べる。とったおかずの種類と数で金額が変わる仕組み。

これはご飯に「アジのような魚の素揚げ」「鶏の素揚げに謎のソース」「煮た鹿肉に辛いソースをかけたもの」「カレー風の何か」を乗せたもの。どれもすこぶるうまい。一瞬で完食。

小腹を満たした後は、水辺に向かってみることに。

水辺にはやはりというかなんというか暇そうにしているオッサンたちがいて、色んな情報を教えてくれる。なんでも、近くに夜になるとバラマンディやGTが釣れる港があるらしい!

ちょうど市場が開かれる時間だということで、夜の釣りのためのエサを手に入れるべく向かうことにした。

移動手段は人力車。

錆びきったチェーンをギシギシと軋ませながら、私と田山くんの二人を乗せて、自転車は力強く進んでいく。ものすごいパワーだ。

しばらく進むと道の脇に屋台が現れ始めた。人力車から顔を出し、品定めをしていく。並んでいるもの全てが目新しいものばかりだ。

アジのような何かとクイーンフィッシュ

 

鮮度という概念が存在しないイカ

日本のサバやカツオをちょっといじったようなやつ、喧嘩が強そうなマダイみたいなやつ、ひときわ大きく美しいクイーンフィッシュ。

結局、唯一顔馴染みであるアオリイカとアジっぽい魚を購入。それにしてもここで売られてる鮮魚(“鮮”ではないかも)たち、真っ白になっちゃってるけど食べれるのかな……

すでにアンモニアのような匂いを漂わせているアオリイカを袋に詰めながら、昼間食べた魚を思い出した。

 

ーー

 

と、ここでムッチーから待ちに待った連絡が!

「ごめん、知り合いに聞いてみたけど年末は家族と過ごしたいみたい」

「……」

そりゃそうだ!(12月30日)

こんなタイミングで未開のジャングルに行こうなんて提案、受けてくれる人はなかなかいないよな……

「代わりにこの町で顔が効くヤツを紹介するから、彼に聞いてみてくれ」

ありがとうムッチー……!

 

早ければ今夜、遅くとも明日の朝に打ち合わせをする約束を取り付けた。

 

日が暮れるとメシ屋が急に活気付く

やがて日が暮れて、GTやバラマンディが出ると噂の港へ行く。

昼間に買ったエサをつけて放り込んでおくと、ものすごく細いウツボが田山くんの竿に掛かった。ダイナンウミヘビとウツボを足して2で割ったような感じで全く引かない。直後、私の竿に大型のサイズも掛かったが、これもズタ袋を引き上げているような感覚で水面に顔を出した。

今回の遠征初の魚で喜びもひとしお。見たことない魚との出会いは、いつだって何だってワクワクする。

この時点で奥地に向かう算段はついておらず、できることはムッチーからの連絡を不安な気持ちで待つだけ。

それでも、ポツポツアタリがあってこのウツボが上がってきたり、田山くんが30cmくらいのフエダイの仲間を釣ったり、見たことないベイトが目の前を横切って行ったり。異国の地の賑やかな海は、そんな不安な気持ちを多少なりとも吹き飛ばしてくれた。

 

港では現地の方がアオリイカを釣っていた。その釣り方が非常に独特で驚く。

なんと海中をライトで照らして小魚を集め、そこに寄ってきたアオリイカを引っ掛けて釣っていた。

足元には200gくらいのアオリイカが転がっている。ちょっと前に釣れたらしい。今度日本でも試してみようか…

 

と、ここでムッチーから待望の連絡!

どうやら今からその人が宿まで来てくれるらしく、急いで帰ってきてくれとのこと(22:00)

ナイスだムッチー!

 

急いで片付けを済ませ、宿に戻る。

 

宿に戻ると一人の男性が立っていた。

名前はRandi(ランディ)。この町で公務員的(?)な仕事をしており、サンゴの保全活動などをやっているらしい。

彼がボートマンとガソリンを含む、村までのアクセスを手配してくれるとのこと!

早速スケジュールの相談に移る。地図を開き、明日の朝に出てここのあたりのエリアに行って、数日釣りをして戻ってくる。現地でガソリンが手に入るかはわからないから予め町で買う必要があって、この移動距離だとこれだけ必要で。この荷物の量だとボートは二隻必要でボートマンも二人必要でーー

「全部合わせて50万だな」

 

「オーケー、オーケー、問題ない。それでお願い」

「わかった。じゃあ……」

「今すぐ現金でくれ」

正直ちょっとビビった。提示された条件はボート、人、ガソリン全ての費用を全額キャッシュ先払い。かなりの大金だし、会ったばかりの人間をそこまで信用していいものか……

でも、だからと言って我々に他の道は残されていない。

「OK、早速行こう。ATMへ!」

 

釣り旅では必要以上の現金を持ち歩かず、カード付帯の海外キャッシング枠で都度おろすようにしている。もっとも、奥地に行きすぎるとそのATMもないため、タイミングの見極めは必要だが。

それに、インドネシアのATMは不正防止のためか20万円分くらいの現金を引き出すと、そのカードは数日間使えなくなることがある。状況に応じて予め前から引き出しておくか、カードを複数枚持って対処したい。

そして私たちはATMからお金を引き出しまくった。今回使ったATMは一回の取引で引き出せる現金の上限が「2万円」に設定されており、数十回に渡ってATMの連打を繰り返したのだった……。

このお札1枚が1,000円相当の価値。インドネシアでは最も価値の高い紙幣だ

あとでトラブルにならないようにお金のやり取りを写真で記録。一度信用すると決めたなら、本当はこんなことはやりたくないんだけど。一応、最低限のリスク回避として。

「確かに受け取ったぜ! 早速ガソリン仕入れてきてやるよ!」

そう言って親指を立てるランディ。頼もしすぎる。だけど、すでに時計はてっぺんを回ろうとしている。こんなに遅くからガソリンは手に入るのだろうか……?

ランディは颯爽と車に乗って去っていく。

怒涛の1日が終わり、旅の始まりがすぐそこまで迫っているのを感じた。

 

 

それは天国か地獄か。爆音轟くパプアンバスの村

パプアの空気は夜になっても蒸し暑い。部屋の空気は信じられないほどに不快なものになっていた。部屋には一応エアコンが付いていたものの、温風が出てくる始末。空気を入れ替えるには窓を開けるしかないのだけど、そうするとすぐさま生物兵器マラリアを搭載した巨大な蚊が大量に侵入してくる。

多少風通しのいい廊下に出て、虫除けを全身にかけまくった上でベンチに横になる。

目を閉じて、朝になったら、いよいよ文明の手が届いていない奥地へ向かう。見渡す限りのジャングルに囲まれて、ブラックウォーターの水面が炸裂する。竿が軋み、糸が鳴り、締め切ったドラグが音を立てて滑る……そんな情景を頭に浮かべると、不快な夜も早く過ぎ去っていく気がした。

 

ーー

 

翌朝。

昼前頃の出航ということで、現地での食料を調達すべく買い出しに向かった。現地で得られるものは基本的に自分で釣った魚だけ。他のものは欲しくても手に入らない想定だ。

米と水、野菜や卵、お菓子、インスタントラーメンなど。考えうる必要物資を大量に買い込んでいく。市場は活気にあふれ、見たことないフルーツや野菜が並んでいた。色々食べてみたかったけど、そういうのは「全部終わってから」やればいいと思い、やめた。

途中、キバタンの鳴き声が聞こえたので寄り道。めっちゃムキムキの爺さんの飼い鳥だった。

宿に戻るとランディから連絡があった。どうやらガソリンの荷詰めに時間が掛かっており、昼過ぎの出航になるとのことだ。早速インドネシアらしさが出てきたと言うかなんと言うか……。とはいえ今回、ハンパない量のガソリンを買っていたので、時間がかかるのはしょうがないとも思う。

気持ちは逸るが、慌ててもしょうがない。

鳥とエビを揚げたものに野菜のスープをかけて

昨日行ったワルテグで今日も腹ごしらえ。前日に食べた料理がどれもすこぶる美味しくて、他のも食べてみたくなってしまったのだ。もちろん、今日のメニューも大当たり。大満足である。

それからあたりを散策しつつ、特にやることもなくなってしまったので出航場所へと向かった。

たくさんのカラフルなボートが停泊している。そのうちの一つに、大量の荷物がどんどん積み込まれているのが見えた。アレが今回、長旅を共にする船か!

外海を航海するにはちょっと心許ないけど、まあ今更どうしようもない(笑)

後は海が荒れないことを祈るのみ……!

今回購入したガソリン、およそ20万円分。このドラム缶7つ分の中身が尽きた時が、今回の旅のタイムリミットだ。

やがて全ての積荷が終わり、14:30、ついに出航の時が来た。

海水がかからないように荷物にブルーシートを被せ、自分たちも小さくなってその中に隠れる。目的の村までは片道なんと「5時間」もかかるとのこと。厳しい体制でじっと過ごすか、足を伸ばした楽な体制で頭から波を被りながら過ごすか……なんとも悩ましい二択である。

どっちもしんどいけど、とりあえず今は「無事に現地へ向かえること」を喜びたい!そして、次々と後ろへ流れていく雄大な景色を一秒でも長く、目に焼き付けていたい。ここから先は、10年前の自分が想い焦がれ、叶わなかった世界だ。

当時、夢破れた自分に「大丈夫、10年後に行けるよ」と伝えることができたら、どんな反応をするだろう。「スゲーじゃん、おめでとう!」なんて言ってくれるだろうか。それとも「バカ野郎、もっと早く行けよ」なんて怒られるだろうか。

船は進む。

大量のガソリンと、釣り人の過去と、未来を乗せて。

2時間に満たない航海ののち、中継地点の村に到着した。

なんでもここはランディ(ガソリンやボートマンなど全ての手配をしてくれた彼)の故郷らしく、追加の物資の積み込みを行うとのこと。

水は青く透き通り、暖かい。水平線の向こうまで届きそうな桟橋の先端まで出ると、数百匹の小魚が群れをなして泳いでいた。夢中になって見ていると、急に足元から飛び出してくるヤガラ。そしてゆっくりと横切っていくGTの群れ……

な……なんだかすごいとこに来ちゃったぞ……?

釣りをするヒマもなくすぐに積み込みは終わり、目的地に向けて再出発。

道中、2機あるエンジンの片方がちょくちょくストップする。その都度修理しリスタートをかけて、また進んでいく。荒れると地獄みたいになる海域らしいが、今回は雨も風も波もなく、非常にのんびりとした船旅。

空は広く、色彩豊かだった。

一生直らないエンジン

……って、だんだん暗くなってきてますけど?!

アンタいつまでエンジン直してんの……異国の地で夜の海を漂流するのはゴメンだぜ……?

一応ボートマンに確認してみる。

「村まであとどれくらい?」

「1時間ちょっとってとこだな!」

……終わった。

気休めライト

街灯はもちろん、人が生活していないエリアだ。陽が落ちると一つの光もなくて、本当に真っ暗になる。暗闇の中をボートは一切速度を落とさず爆走する。漂流物に当たったら一発で大破だろう。さすがに怖すぎて、持ってきたヘッドライトで船の先を照らす。大して意味はないのだろうけど。

今はただ無事に到着することを祈るしかない……

ーー

遠くの方に小さな灯りが見える。先行して到着していたボートマンが懐中電灯で手信号を送っているようだ。

ほどなく船は速度を落とし、鈍い感触と共に砂浜に座礁した。

入国から4日目、ついに目的の村に到着である。

到着してからはまず、村での滞在についての説明を受け、滞在費の支払いを行なった。

まずは川で釣りをさせていただく権利費。川の流域には複数の村があり、村ごとに魚を獲るエリアが決まっているらしい。加えて、もし他の村のエリアを「通過」する場合は別途費用が必要な場合があるとのこと。なおこの通過時にかかる費用は、その村の血縁者を連れていると免除されるらしい……。もし広いエリアを探る場合は、川ごとに追加の費用が発生する。

それから村に滞在する費用。もちろん宿泊施設なんてものは存在しないので、村人の家にお邪魔させていただくことになる。そのための費用だ。

そして滞在時の食事を作ってくれる人への支払い。我々2人分のメシを作るのに、3人の人員が必要と言われた。「さすがにそれはやりすぎでしょ!」と2人に値切った。思わず値切りたくなるほどの、そこそこの費用を請求されたのだ。食料の全ては持参しているにも関わらず、である。それぞれの項目について、昼まで滞在していた街の物価と比べてもかなり割高な金額を提示された。

……ここで若干空気が悪くなったのを感じた。

パプアは未開の地とはいえ、その生活にはインドネシア政府の支援が入っているという。

ボロボロになったカラフルな住居。崩れた木造の施設が目立つ。人々の手にはスマートフォンが握られ、子供達はtiktokを見ながら画面の中のインフルエンサーを真似して踊る。村には本当に微弱であるが電波が通っていた。原始の生活を営む村に投入された資本は、そこに住む彼らの生活を大きく変えてしまったのだろう。中途半端に入り込んだ便利に適応しきれず、手入れが行われない住居は腐り落ち、水洗式のトイレは逆流している。

そんな地において、文明を享受するための必須アイテムであるカネを稼ぐ手段は本当に限られているのだろう。近隣の村々もおそらく同様の状況で、街に行くためのコストも非常に高い。唯一の資源である水産物は街に届ける前に腐敗してしまうし、そもそも儲けが出るだけの量を運ぶ大きな船もない。

彼らにできることは、私たちのような酔狂な異国の人間が偶然やってくることをただ待つだけ、なのだろう。だからこそ、彼らもカネを得ることに関して厳しいし、本気である。

もとより、私たちもここまで来て尻尾を巻いて帰るわけにはいかない。自分たちが“何を成し遂げにここに来たのか”を考えると、素直に支払う以外の選択肢はないのだ……。

現地の村人たちの住居

話がまとまり支払いが終わると、すぐ寝る体制に入った。翌日はとうとう朝から念願の釣りだ。今日は丸一日、直射日光にさらされながら海上を揺られたので疲労が大きい。

8畳程度の硬い床に田山くんとボートマン達と川の字になって寝る。部屋は通気性が悪く蒸し暑いことに加え、勝手口にはドアが付いていない。無限に蚊が入ってくる状況で一生寝ることはできない。加えて外では放たれた野犬が壁一枚を隔てたすぐ隣で遠吠えの大合唱。ウトウトすることすら許さない。誇張抜きで、人生で最も寝れない夜だった。

これまでの第一位は真冬の八丈島。風速10m超え、堤防で夜釣りをしながら仮眠を取った。おまけに商店がどこも開いてなく食料が一切手に入らなかった。空腹を自販機のコーンポタージュで固形物をとり凌いでいた夜。あの凍える夜よりも圧倒的に眠れない。そういえばあの時も年末年始だった。だからどこも店が開いてなかったんだよな……。

ーーー

「カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!カン!」

突然、大音量で鐘の音が響き渡る。

同時に村全体がクラブになったかのような音圧で陽気な音楽が鳴り始めた。

合わせて野犬の遠吠えもボルテージを増していく。

 

驚いて外に出ると、同じように近隣の住民が外に出てくる。手には大量の打ち上げ花火を持って。

舞い散る火花は辺りを真昼のように照らし、やがて村全体を巻き込む花火大会に発展する。

時刻は0:00。私の2024年は大爆音と共に始まった。

 

夢が現実になる。その瞬間に浮かぶ言葉。

船は海岸線に沿って進んでいく。

断崖絶壁が続く岸際、小魚が追われ激しいボイルが起きた。おそらく巨大なGTだろう。

船を止めてもらって投げようかと思ったけど、焦る必要はない。

なんせ今向かっているのは夢の楽園なのだから。

新年を祝う宴は朝まで続いた。寝不足の頭にパプアの殺人直射日光がガンガンと響く。眩しい太陽に青い空、岸際を埋め尽くすマングローブの緑。夢にまで見た景色が明確な輪郭を描き、輝くような色彩を伴って次々と目に飛び込んでくる。けたたましいボートのエンジン音がどこか遠くの音のように聞こえた。

程なくして川幅150mほどの河川に入り込んだ。ブラックウォーターの大河川。岸際からすぐ深くなり、とんでもない水深がありそうだ。

エンジンの音が少しずつ小さく弱くなっていく……

「到着だ」

ボートマンが言う。

心臓が一際大きく跳ねる。ルアーを結ぶ手が震え、うまく結ぶことができない。ゆっくりと深呼吸を一回。そしてキャストモーションに入る。ルアーがマングローブ茂る岸際へと吸い込まれ、振動を発しながら、下へ下へと潜っていく。

「うわなんか食った!」

カツンと小気味良いバイトに力一杯アワセを入れる。

上がってきたのはハタの一種。美味しいらしく、ボートマンがキープしたいと言う。サイズは40cm少々。

キープするのであれば、とじっくり観察する。

日本でよく釣っているキジハタと、サイズ感もフォルムも完全に一緒。大きく異なるのはここは川だということ。

釣行開始すぐの獲物だ。ポイントの豊かさを感じ、嫌が応にも期待が高まる。

「さあ、次だ!」

その後2時間ほど、何も反応がない時間が続いた。日光があまりにもキツいので、時折木陰で小休止をとる。街から大事に運び込んだ氷で、ほんの少しの炭酸飲料を冷やしておいた。疲労を感じる体に糖分が染み込んでいく。

休息のたびに状況を整理していく。

パプアンバスはストラクチャーに着く。そのため岸際にルアーを投げ込み、水中にあるであろう障害物を探して投げ続けていたのだが、どれだけ投げてもルアーが何かに当たる感覚はなかった。

岸際に停めた船の上から水底に向かってロッドを突き刺す。何も感じない、どうやら岸際からすぐかなり深くなっているようだ。午前中は広いエリアを探りたかったから、飛距離の出るフローティングミノーを中心に投げていた。しかし、最大2m程度までしか潜らないミノーでは、水中の障害物がある深さまで届いていないのかもしれない……加えてブラックウォーターとはいえ若干濁りの入った水質。もっと水中で存在感をアピールできるルアーの方が有利か……?

未知のポイントで未知の魚を狙う。

それは、これまで自分が積み重ねてきた全ての釣りの集大成だ。過去に釣ってきた魚種、釣法、シチュエーション、データ。引き出しが多ければ多いほど、結果に近づくことができるはず。

午前中、軽く釣りをして得られた情報を総合すると、自分が学生の頃に最も情熱を注いだ「バスフィッシング」に近い釣りを展開すべきという判断に至る。そこで、急深のダムでボトム付近を攻める時に使うディープクランク、その中でもラトルが入っており、音が鳴るアピール度の高いものを選択した。

そのまま木陰で昼食をとる。汁なしインスタントラーメンご飯、卵焼きのせ。ゆっくり食べている暇はない。早く検証を進めたい。

 

ボートマン達の食事を待つ間、ライトタックルを引っ張り出した。

木陰に入っているため投げられるのは流心方面だけ。パプアンバスは釣れるなら岸際のボトム付近だと思っていたので、全く別の魚種を狙ってみようと、自作のフローティング系ルアーをチョイス。実は最終コーティングをしてから一度も投げていなかったので、そのスイムテストも兼ねて。

パプア用に大きく太いハリを装備していたので、目の前で泳がせてみると本来浮くはずのルアーはゆっくり沈むバランスになってしまっていた。まあいいかと、軽いキャスト。重量バランスの悪いルアーはひょろひょろと飛び、30mくらい先の水面にボチャンと落ちた。

ルアーがなるべく自然な動きをするよう、そのままゆっくり巻いてくる。

 

「ガツッ!!」

手元に硬質な衝撃が伝わる。

「食った!」

足元近くまで引いてきていたルアーが突如引ったくられ、リールから糸が引き出されていく。あまりのパワーと突然の出来事にアワセを入れることができず、魚は一瞬で針から外れてしまった。回収してみると、木製ルアーの背中の方に穴が2つ空けられている。

それは明らかに、パプアンバスの牙によるものだった。

「こんなとこで食うか〜」

田山くんが言う

「多分、小さかった。でも、やばいね(笑)」

苦し紛れに言う。事実、歯形から推測するに40cm程度の個体だったと思う。けどいくら予想外のタイミングで食ってきたとはいえ、その程度のサイズの魚に遅れをとるような技術レベルじゃないはず……。やっぱりこの魚は一味違うな、と考えを改めたのだった。そして、メインタックルのドラグ値を少しだけ上げた。

 

昼食を終え、再出発。

岸際を流しながら、一つひとつ、さっきの出来事を振り返る。

沈むルアーをゆっくり巻いてきたから、結構深い水深まで攻めれていたと思う。そして食ってきたのは岸から10mほどのライン。加えて朝より上流のエリアに来たことや潮位の関係で、川の中に流れができていた。上流から流れてくる小魚を自然に演出できていたのだろう。

 

そして何より、待望の夢の魚を自分のミスで逃してしまったという事実。

一つひとつ、さっきの出来事を振り返る。できる限り詳細に。

歯形はルアーの腹に付いていたから、きっとルアーの真下から襲ってきたんだろう。そしてバイトと同時に強烈な引き。食った直後に反転して、そのまま全力で反対方向に逃げるような引きだった。水中の障害物の真上を通過した瞬間飛び出してきて、噛みつくと同時に元の居場所にダッシュで帰ろうとしたのか。

一つひとつ、さっきの出来事を振り返る。ドラグをもう少しだけ強くした。

 

特に変化のない岸沿いを流し続ける。相変わらずパプアンバスからの反応はない。

それでも不思議と、高い集中力を保つことができた。先の一撃から分析して、今自分が思う最高のパフォーマンスを行えている確信があった。

これで食ってこないなら、そこに魚はいない。

 

 

と、船の前方に明らかに異質な雰囲気を放つポイントが現れた。

ロッドを握る手に力が入り、嫌な汗が頬を伝う。

大きな倒木とブレイクが絡み、岸際にも関わらず十分な水深がある。まるで教科書に載っているようなそのポイントは、この川に入ってから一番のシチュエーションのようにも見えた。

「ここしかないだろ」

確信がある。ドラグの設定とラインの劣化を入念に確認した。水面から飛び出した枝の配置から水中の様子を予想し、ルアーを通す最高のコースを計算する。

船は少しずつポイントに近づいていく。

もし魚がいるなら一投で答えは出るはず、余計なキャストはいらない。船が進んでいき、1番いい角度になる瞬間を待つ。落ち着け。絶対に出る。間違いない。これまで積み重ねてきたあらゆる釣りの経験が告げる。

ポイントが射程距離に入った。

 

音が消える。

その1投目。木々の間を縫って、ルアーはポイントの少し奥に落ちる。大きなリップを備えたディープクランクは着水から急潜航し、複雑に絡み合った倒木の根元へと吸い込まれていく。

やがてリップが倒木を突く感触が伝わってくる。その感覚を手がかりに、水中の枝を一つひとつ抜けていく。フックが倒木に刺さらないように、絡まないように、ゆっくりと。慎重に。

最後の枝を躱し、手元にほんの少しだけ浮遊感が伝わる。

その瞬間、握り込んだ右手の中に強烈な衝撃が走った。

「でけえぇぇえぇぇ!」

フッキングの瞬間、竿先から伝わる重量感に恐怖を抱いた。最高潮まで高めた集中力から繰り出されたアワセは、完璧なタイミングと十分なパワーを伴って相手の口元に炸裂したハズだった。にも関わらず、手元に伝わる感触はまるで大岩を引っ掛けたかのようにビクともしない。

こんな相手に本気で走られたら太刀打ちできない!

田山くんとボートマンが何かを叫んでいるのが聞こえる。

けれど私は、ラインの先で暴れ狂う怪を押さえ込むので精一杯だった。

300gまで投げられるヘビーロッドが弧を描き、限界まで締め込んだドラグが滑る。倒木の広がるエリアを躱したくて必死に竿を立てるも、浮いてくる気配がない。水底に向かってゆらゆらと泳ぐ規則的なテンションが伝わってくる。

 

”力を溜めて”いる。そう思った。

 

大型魚特有の「チャージ」。爆発的なダッシュの前触れ。パプアンバスも例に漏れず、溜めの挙動をするようだった。”その時”が来るまでに少しでも浮かせたかったが、足場の悪いボートではそれも叶わない。

竿先がゆっくりと絞り込まれ、徐々に加速していく。ドラグはなす術なく滑り、スプールを指で押さえ込む余裕もない。竿を立てておくので精一杯だった。

その時、ブツっと嫌な感触が手元に伝わる。どうやらフックが一つ外れたらしかった。

もたついてる余裕はない。

 

意を決し、一気に浮かせにかかる。残る一本のフックがどう掛かっているか不明なため、決して無理はせず、けれども力強くラインを巻き上げていく。やがて水面にダークブラウンの魚体が姿を現した。

「でかいでかいでかい!」

「ブサール!ブサール!ブサール!(*大きいの意)」

ボートに乗っていた全員が叫ぶ。

 

あまりにも大きく厚い魚体が水面を割った直後、爆発を伴って一瞬で水中へと消えていく。あまりにも鋭い突っ込みに、ふと竿先が軽くなるような、嫌なイメージが頭をよぎる。

「やばいいぃぃぃぃ!」

突っ込みを膝で吸収する。まだフックは耐えてくれているようだった。

 

絶対に獲りたい。

いや

絶対に獲る!

魚体を目視したことにより、集中力がもう一段上がるのを感じた。

 

一匹の魚に対して、こんなに強く”獲りたい”と思ったのはいつ振りだろうか。

欲は畏れを超える。

水中障害物の懸念、フックへの不安、ラインダメージへの心配、あまりにも強いパワーに対する畏怖。あれだけ興奮していた体と頭が、氷のように冷めていくのを感じた。

不思議な感覚だった。

 

熱と氷が同居している。

魚が走るたびに不安と喜びが満ちる。一方で竿先に伝わる感覚から、魚がいつどんな挙動を取ろうとしているかが手に取るように分かる。

この時間がいつまでも続いてほしいと思った。早く終わってほしいとも思った。同時に、もうすぐ終わってしまうことも分かった。

 

魚を水面まで連れてきても、爆発的なダッシュで再度水中深くに潜られてしまう。しかし回数を重ねるごとに、その力は着実に弱くなっているのを感じた。このダッシュを止めた時、それがこの幸せな時間の終わり。

何度目かの挑戦の後、思い切ってスプールを指で押さえ込み、爆発を正面から受け止めた。

水柱が立ち、目の前が飛沫で埋まる。

一瞬。

 

飛沫が落ちる。視界が戻る。魚は水面でもがいていた。

「いくぞ!」

田山くんが意図を汲み取ってくれ、ネットを水中に差し入れる。

「いけええええぇぇぇええぇ!」

ダークブラウンの魚体は大人しく、ネットの中に吸い込まれていった。

私たちの叫びも、雄大なジャングルの中へと吸い込まれていった。

夢は、叶う。

命が熱を持つ限り、続く。

73cmの大型個体

10年もの間、夢を持ち続けることは簡単なことでなかった。

一つ、また一つと歳を重ねるごとに、あの日の悔しさは少しずつ冷めていった。

一つ、また一つと仕事を覚えるごとに、守るべきものが増えていった。

誰かが言った。

「また、いつか。そう思った瞬間に旅は終わる」

いつか、なんてそんな都合のいいタイミングは待っていても一生来ない。

今この瞬間が一番若く、一番強く希うことができている時。

鉄は熱いうちに打て。

熱は、冷める。

冷めた鉄は硬くなる。

変化を嫌う。

一つ、またひとつ。

人は何かを得ることと引き換えに、何かを失っていく。

かつての宝物から、輝きが消えていく。

「夢破れること」が怖いのではない「夢に興味がなくなること」が怖いのだ。

あの日信じた衝動が消えることこそが、最も恐ろしいのだ。

輝く自分が消えていく感覚。世間はそれを「オトナになる」と言うのだろう。

オトナになることと引き換えに、「自分が何に成りたかったか」を忘れていく。

自分を納得させることが上手くなる。

建前ばかりが先行する。

 

社会に適応していくにつれ、優秀なオトナになることが求められていく。

子供のままでいられるほど甘い世界ではない。

 

そんなこと分かっている。

だからこそ、毎日が苦しいんだ。

上がる給料の対価として差し出したのは労働時間か、それとも……。

 

 

 

「その魚はリリースしよう」

ボートマンが言った。

 

ブラックウォーターの水中に戻した黒い魚体は、太陽の光を受けて金色に変わる。

「ココが俺の居場所だ」と言わんばかりに。

全力で生きる者だけに宿る光。

与えられた場所で咲く華。

生命の輝き。

 

「で、どうだった?」

黒く済んだ瞳が訴えかけてくるように見えた。

「夢に手が届いた感想は」

 

私は静かに、ボガグリップの引き金を引いた。

 

 

その日、私たちは”世界で一番”釣りを楽しんでいた

最初のパプアンバスを手にし、肩の力が抜けた後は純粋に釣りを楽しむことができた。

キャスト精度は冴え渡り、ルアーから伝わる感覚全てが手に取るようにわかる。

 

程なくして、田山くんがいいサイズのバラマンディを釣った。

無事ネットに収まったあと、ボートマンが嬉々として駆け寄ってくる。パプアンバスの時とは全く異なる反応どうやらキープしたいらしい。なんでもバラマンディは高値で売れ、その金額はパプアンバスの4倍ほどだとか。

 

俄然やる気が高まる。

 

二つの川の合流点、岬の先端のシャローで食ってきたとのこと。

同じようにシャローエリアを丹念に攻めてみると、鋭いアタリが出た。

上がってきたのは中型サイズのパプアンバス。

これまたとんでもないパワーを見せてきたが、先ほどのファイトを経て幾分か余裕が出てきた。シャローエリアで掛けたのもあってヒット直後から強引なファイトで寄せて、そのままキャッチ。体色の明るい若々しい魚だった。

 

その後、潮が満ちてきたので再び下流のポイントへ。

このタイミングの下流ポイントは、パプアンバスの数は減るが大型個体が姿を現すのだとか……

 

河口付近まで降ると、とんでもない光景が広がっていた。

猛烈なチェイス。あちこちでボイルが起きている

海から澄んだ水と一緒に、大量の小魚が入り込んできていた。

時刻は夕まずめ。魚たちの活性が上がる時間。

あちこちでひっきりなしにボイルが起こり、上げ潮と一緒に上流へと流れていく。

「す……すごすぎる……」

田山くんと2人、上がった口角が落ちなくなった。

 

ボイルのど真ん中にミノーを投げこみ速めに巻く。

すると、水面直下を泳ぐルアーのすぐ後ろ1mくらいの水面が盛り上がり、背鰭を出しながら大きな魚がアタックしてきた。

残念ながらうまく針がかりせず。

すぐさま次のキャストに移る。同じパターンでチェイスが起き、船縁まで追ってきて食いついた!

ボイルの正体はGTだった。

速く巻けば巻くほど反応がいい。ルアーを丸呑みするほどの超高活性。

まだまだ小型の個体だけど、その体重に見合わない引きの強さを持つ。

右へ左へ、上へ下へと縦横無尽に高速で走り回る。素晴らしいファイターだ。

それが次から次へと食ってくる。

最大40kg以上にもなるこの魚。お子さまサイズでこの引きなら、大型魚になったら果たして……

 

それから続けて5本程度、同じサイズのGTを釣ったところでようやく心が落ち着いてきた。

これだけの好条件、他の魚もハイテンションになってるんじゃないか?

午前中の釣果から、フローティングミノーがパプアンバスのテリトリーである水深まで辿り着いていない可能性を懸念していた私は、クランクベイトに結び変えた。激しいボイルに湧く流心ではなく、岸沿いのブレイクに狙いを変更し攻めていく。

ブレイクを舐めるように攻めたかったからキャストは岸の際へ落とす。流していくと、納得できないキャストが出た。このまま巻いても出ないだろうと判断し、速めのリトリーブで回収する。 ルアーが足元まで泳いで来た時、後ろに2匹の魚影が追ってくるのが見えた。

 

来る!

 

どうアクションしたのかは覚えてないけれど、目の前でルアーが魚の口元に消えたのが見えた。 直後、足元の水中が白銀に輝く。 魚体に並ぶ黒い斑点が、光の中に浮かび上がるのが見えた。

「クイーンだ!」

ずっと釣ってみたかった魚のひとつ、クイーンフィッシュ。先日市場で並んでいるのを見てもしかすると……と思ってたけど。まさか本当に出会えるなんて!

「もう一匹いるよ田山くん!」

群れで襲ってきたことを田山くんに伝え、投げるように促す。 そんな隙を見計らってか、クイーンはまるで流れ星のように一瞬にして船底へと消えていった。あまりのスピードにクラッチを切る余裕もない。

やばい!やられる!

船の底にラインが擦れたら一発で切れてしまう。船縁を掴んで身を投げ出し、ロッドの先端を船から遠ざけつつ竿の角度をキープすることで、どうにか船底を回避。すると、魚の動きが少しだけ弱まった。

……凌いだ! 同じ手は2度とは食わんぜ。ロッドをしっかり立てて主導権を握る。

 

次の瞬間

翔る

 

持ち上げたロッドの動きと呼応するように、白銀の流れ星がもう一筋流れた。 船縁を掴んで必死に耐える私を見下ろすように。暗いブラックウォーターの水底から、水面を破り上空へ。 西陽を受けて輝く魚体は、気高さと美しさに満ちていた。

ファイト中、魚に見下ろされたのは初めての経験だった。

 

どうやらフックの掛かり方がめちゃくちゃ良かったらしい。無様なファイトをしたにも関わらず、針先は最後までクイーンの口元を捉えていた。キャストせずにランディングに徹してくれた田山くんの協力もあって、無事ネットに収めることができた。

金色のクイーンフィッシュ。この水域では海の魚までもが黄金に染まる。

 

それから、日が暮れるまで休む間もなく投げ続けた。

流心に投げればGTが食ってくるし、飽きたら岸際に投げて大型のパプアンバスを狙ったらいい。

ひたすらに釣って釣って釣りまくった。

間違いなく、これまでの釣り人生で一番アドレナリンの出る1日だった。

 

村に戻る頃にはすっかり真っ暗になっていた。

暗闇の中をボートは高速で進んでいく。

事故でも起きたらおしまいなんだろうけど、もう慣れたもんだ。

GTと小型のパプアンバスはキープして、みんなの晩ごはんになった。

炊いたご飯と、魚の素揚げにソースをかけてかき込む。

見た目通りの味。パプアンバスに臭みがなかったのは意外だった。

特段”美味しい!”ってわけじゃないけど、十分な食事。

幸せだった。

部屋の中はあまりにも暑くて寝苦しかったので、玄関に蚊帳を張らせてもらいそこで寝ることにした。

吹き抜ける風が心地いい。

荷物も出しっぱなしだけど、別に取られるものもない。

金だってもうすっからかんだ(笑)

一応、家の周りの野犬には威嚇しておいた。

無限にいる

その日の深夜、事件が起きた。

村人の大声で目が覚める。それに呼応するように野犬たちが遠吠えを始める。

辺りが騒がしい。何名かの若者が忙しなく駆けていく。

どうやらどこかで何かが起きているらしいが、何言ってるかわかんないし見に行ってもしょうがない。

何より直射日光の下で一日中釣りをして、体はあちこちボロボロだ。動く元気もない。

私はすぐ眠りに落ちた。

村のどこかで陽気な音楽が鳴っている。

 

 

殺人犯はパプアンバスを食う。殺人魚はテッポウウオを食う

目が覚めると昨晩の騒がしさはすっかり収まっていた。

どうせ出船は昼前くらいになるだろうから、村を散策してみる。

村のあちこちに設置された真水の井戸。

洗濯、風呂、トイレなどはここの水を使う。

立地の関係上、地下水はないだろうから雨水を溜めている感じだと思う。

この村唯一の真水を得る手段だ。

青空トイレ。逆流している。もちろん紙はない。

水を流すとブツはどこかへ消えていくが、どこに行くかはわからない。

 

洗濯を済ませた頃、朝食の用意ができたとのことで拠点に戻る。

我々が買ってきたビスケットが皿に並べられて出てきた。

以上!

 

ま……まあ、一人分の食事係を値切ったから多少はね(汗)

そして大量に買ってきたはずのビスケットは、その辺にいた人らに配られ、一瞬で消えた。

 

ーー

「昨晩なんか騒がしかったヤツあるじゃん?」

「あれ、なんか1人刺されたらしいよ(笑)」

まじかよ(笑)

 

田山くんが昨日の騒動の顛末を聞いてきてくれた。

 

刺された人は生死不明。刺した人は逃走中とのこと。

控えめに言って嫌すぎる!(笑)

 

そんなヤバい事件が起きてるすぐ横で、アホヅラ晒して無防備に寝てたのか……

とはいえ部屋の中で寝るのは厳しすぎる……

ちょっと悩んだけど、結局その日以降も外で寝ることを決めたのだった。

 

ーー

 

この日も前日とポイントへ。

河口に着くと一艘のボートが浮かんでおり、こちらに気づくとゆっくりと近づいてきた。

「ガソリンを分けてくれ」

ボートマンが快諾する。アンタのガソリンじゃないけどな。

 

しばしの談笑ののち、ボートは去っていった。

どうやら漁師でも釣り人でもないようだが……ここで何をしているんだろう。

 

気を取り直して釣りを開始。

午前中のいい時間は何をやってもダメ。

色々試していると40cmくらいのGTがミノーに食ってきた。

キープするか確認するとリリースしろとのこと。なんでも「魚は午後にキープする」らしい。確かに、保冷設備がない船の上ではすぐ腐っちゃうもんね。

河口付近に広がる砂浜で昼食をとる。今日のランチはご飯にミーゴレン、それと昨日のパプアンバスの余りだ。

食事の用意をしていると、1人の現地民が近づいてきた。さっきガソリンを分けた男だ。

ボートマンが手招きし、昼食の輪に加わる。男は心なしか元気がない。腕には包帯を巻いている。うなだれた男性にボートマンが声を掛けている。

ちょっと異様な雰囲気だったのが気になるけど、試してみたい釣りがあったのでサクッと食べてボートに戻った。

 

抜けがけ

実は、ボートを停めていたところの近くに倒木があったのを確認していたのだ!

川の流れがいい感じで当たり、複雑なヨレを作り出している。きっと小魚が着いているハズだ。

50mm程度のミノーを選択し、倒木を掠めるように引いてくる。すると、数匹の小魚が奪い合うようにルアーを襲ってきた。

小魚の正体はテッポウウオ!

口から水鉄砲を飛ばし木に着いてる虫を落として食べる不思議な生態を持つ。ルアーに食ってきたということは、小魚も積極的に追うのかな?

浅瀬にはサヨリのような細長い小魚がたくさんいた。本流の強い流れに乗って流されてしまったこうした小魚を、倒木のヨレの中で待っているのだろう。

 

その後も投げ続けると釣れる釣れる。テッポウウオ、GT、クイーンフィッシュ……すべて15cmほどのサイズだったが毎投のように釣れてきてくれた。

ある程度の小魚が用意できたら、次はヘビータックルを用意する。実はこのテッポウウオ、泳がせ釣りのエサとして非常に優秀なのだ。ウロコが固く針から外れづらい上、非常に生命力が高い。10年前のパプアでもテッポウウオを泳がせて大きなナマズを釣っていた。

エサ釣りとルアー釣りでは”釣れる魚が違う”。ルアー釣りではある程度ターゲットとなる魚を決めて、その生態に合わせたアプローチをするため食ってくる魚はある程度限定されるが、エサ釣りは何が食ってくるかわからない。異国の地、それもパプアの大自然なら尚更だ。

 

テッポウウオを本流に向かって放り込む。そのまま川の流れに乗せて糸を出していくと、すぐに何かが掛かった!

本流の強い流れに逆らって、ものすごいスピードで上流に向かって泳いでいく。

すごいのが掛かっちゃったぞ! と、ロッドを握る手に力を込めると、思ったよりも大分軽くふらふらっとすぐに寄ってきた。

足元まで寄せてくるとなんとサメ! 川の中なのに!

しかも一般的に「人喰いザメ」ともカテゴライズされるメジロザメ系の外洋性のサメだ。こりゃ水浴びとか絶対したらアカンね……。よくよく見ると針に掛かった個体を追って何匹も群れをなして浅瀬まで入ってきた。足元でサメ特有の三角背びれがいくつも水面から顔を出し、ギュンギュンと泳ぎ回っている。

逃げるように水から上がったのだった……。

 

 

ボートマン達と談笑をする田山くんを呼び戻し、小魚とサメが釣れることを伝える。田山くんもすぐにテッポウウオを確保し、サメ狙いの体制に入った。アタリを待つ間、田山くんが話し始める。

「さっきのさ、一緒に飯食ってた男の人いるじゃん?」

「あの人、昨晩の殺傷事件の犯人だって(笑)」

「……」

 

なんだそれ(笑)

どうも酔って喧嘩になった勢いで刺しちゃった(笑)らしく、一旦村から離れてここにいるとのこと(逃げてきた?隔離された?)そのうち街の方からお迎えがくるらしい。包帯を巻いているところは、その際に反撃を喰らったようだ。

ボートマンが神妙な顔をして話しかけていたのは、自首するように諭していたのだろうか。励ましていたのだろうか。

とりあえず村に戻ったとき、酒を飲んでる人がいたら注意しよう……。

 

 

黄金のバラマンディに心が震え、太刀打ちできない巨大魚に足が震える

そして午後の部。前日も魚が釣れ始めたのは午後になってからだったので、少しずつ期待が高まる。

ボートを走らせていると、水面に背鰭を出して泳ぐ魚の群れを目視できた。一瞬サメかと思ったけど、それにしてはサイズが小さい。とりあえずトップウォーターを投げてアクションを入れると、群れ全体がルアーに向かって突進していくのが見えた。

水面を割る激しいバイト!

針に掛かってからも空中に飛び出したり水底に向かって潜ったり、縦横無尽に走り回る。

魚の正体はターポンだった。

50cmくらいの決して大きな魚ではなかったけど、恐ろしいほどに元気でパワフルな魚だ。古代魚チックでものすごくかっこいい。中南米に別の種類のターポンがいて、そっちは2mほどにまで成長する。いつか釣ってみたい魚の一つだ。

一見すると銀色の魚に見えるが、よくよく観察すると青や金、紫などの様々な色合いが入り混じる。もっとも、陸にあげても恐ろしく暴れ回るので観察する余裕はあんまりない。

 

直後、田山くんが今回の遠征2本目となるバラマンディを釣る。どちらもトップウォーターで掛けており、どうやらバラマンディはパプアンバスと異なり水面への反応がいいようだ。

ターポンを釣った流れでトップウォーター系のルアーが着いていたので、そのままバラマンディ狙いで通してみることに。

しかしその後反応はなく、時間だけが過ぎていく。

  

気づけばかなり上流の方まで遡上してきていた。水の透明度がどんどん上がっている。岸際の植物もマングローブのような水没した塩性植物から、水面に覆い被さるようなシダ系の植物に入れ替わった。 

時刻はまもなく夕方。真上にあった太陽が少しずつ傾き始め、シダの大きな葉っぱが水面に日影を作り出すようになっていた。これまで撃ってきた中では存在しなかった「変化」。

その影の中。植物たちの際にルアーを投げ込む。

 

数回アクションを入れると、ルアーを中心として水面が円形に陥没した。

一呼吸置いて、窪みに流れ込んだ水がぶつかり合って上空高くへ舞い上がる。噴き上がる飛沫が虹色の光を放った。 一目で分かる。他の魚のそれとは一線を画す、バラマンディ特有の超強力な吸い込みバイトだ。

アワセの動作そのままに、一気に糸を巻き取っていく。

普段は銀色の魚体が、ブラックウォーターの水域では金色に輝く。

この魚の存在を初めて知ったのも、10年前のパプアの旅でのことだった。滞在した街の釣具屋でゴールデンバラマンディの写真を見せてもらった時、もの凄い衝撃を受けた。なんて格好いい魚なんだろうかと。しかも”この街の近くで釣れる”という情報を手に入れた時は今にも踊り出しそうなほどウキウキした。

直後、そのエリアに行くためには「賄賂10万円/日(国立公園でこっそり釣りをする)」が必要で、かつ時期が一番悪いタイミングとの話を聞き、哀れな大学生は絶望の底に叩き落とされることになった……。

とはいえ、そんな絶望感も「この魚を知ることができたという感動」に比べれば大した問題ではなかった。

知ってさえいれば、挑戦ができる。想い続けることができる。

知らない相手を想い続けることは不可能だ。

 

想いは募らせるほどに、強く、眩しく、光を放つ。 そう思うと、10年前獲れなかったという事実もまた、今となっては幸せだったのかもしれない。

 

 

 

空の色が変わってきた。

夕まずめは前日に爆釣した河口エリアで過ごすと決めていた。

上流エリアから一気に降っていく。

降るついでに、この2日で反応があったポイントをピンで撃っていく。条件のいいポイントにはやはり魚がついており、60cm程度の中型個体をポツポツと拾うことができた。

これくらいの魚でもパプアンバスのパワーは健在で、ヒット直後はサイズが全くわからない程の強い引きを見せる。ボート際で浮かせて初めて大きさが判別できる。魚が掛かってからは一瞬たりとも気が抜けない。

 

サクサクと流して前日と同じ時間に河口エリアへ到着。大型魚一本狙いで攻めていく。田山くんはトップウォーター、私はベイトが入っていることを予想しフローティングミノーを選択。水面と中層で攻めるエリアを分担することに。ところがこの日はベイトが少ないのか、ボイルの数も圧倒的に少ない。昨日あれだけ釣れたGTもポツポツ釣れるだけで、どうも反応が悪い。

昨日の活性の高さから考えると、ルアーに気づけばすぐに食ってくるはず。何かがズレていそうだった。ルアーを投げるポイントか、はたまた攻める深さか。

目先を変えるべくディープクランクにルアーを変更。より深いところを攻めてみる。キャストも岸際の浅瀬ではなく、流れが渦巻く流心側へ。

 

 

「よし食った……ぁあああぁあぁ?!」

突然、ものすごい重量感と共に竿先が海面に突き刺さった。スプールがとんでもない速度で逆転し、ラインがどんどん送り出されていく。

「やばいこれ無理だ!ボートで追ってくれ!」

ボートマンが慌ててエンジンをふかして、ボートを旋回させる。そうこうしてる間にもラインはみるみるうちに少なくなっていく。

ラインは70m程度巻いてあり、食ってきたのは30m程度先。そしてすでに20mは走られているはず。相手は止まる気配を見せない。スプールの回転を指で抑え止めることも考えたが、相手が強すぎる。無理をするとルアーやフックが破損するかもしれない。

 

ボートが動いてさえくれれば!

 

時間にするとたった十数秒の出来事。それが途方もなく長い時間に思えた。

すぐにボートは魚を追い始めた。リールの中にラインがどんどん帰ってくる。ボートでよかった……このタックルで岸からかけてたら絶対取れなかった。程なくしてボートは魚の真上に到達する。流心付近でものすごく深いポイントとはいえ、水中ストラクチャーを警戒し一気に浮かせにかかる。が、あまりにも重く全然浮いてこない。

 

「巨大なパプアンバスだ……」

 

ボートマンが呟く。その言葉に焦りを感じ、早く浮かせなければと必死に力を込める。

一方で少し違和感もあった。あまりにも重いが着実に浮いてくるし、引きも強いがパプアンバス特有の下へ潜るような引きじゃない。むしろ横方向に走るような……。

船縁で浮き上がったのは真っ白な魚体だった。

 

「GTじゃん!しかもめちゃデカい!!」

 

これまで釣れてきた個体の2倍くらいのGT。長さも、体高も、厚みも。そりゃ引くわ。パワーもさることながら、これだけの表面積で川の水圧を受けてたら浮かせらんないぜ……。

どうにかこうにか2人がかりでネットに押し込み、無事にキャッチしたのであった。

“パプアンバスじゃなかったか”という気持ちと”こんなデカいGT超嬉しい!”という相反する2つの気持ちが混ざった複雑な表情(笑)

 

それにしてもこのGTという魚、恐ろしく引く。

今回の魚は“想定よりデカかった”だけで、GTという枠の中ではまだまだ”中型”と呼ばれる個体。本当の大型個体は一体どれだけ強いのだろうか……。

まだ見ぬ巨大魚に畏怖を抱いた。

 

 

この日の夕まずめはこれだけで終わらなかった。

引き続き田山くんがシャローを攻めて、私は流心側を攻めていた。

ドバァァァァン!

「うわぁなんだ?!」

背後から人が飛び込んだかのようなとんでもない爆発音が鳴る。

田山くんの操るルアーに怪物が食ってきた。

巨大な水柱が立ち上る。しっかりとラインスラックを巻き取ってアワセを入れた瞬間、田山くんの竿が一瞬で伸された。そのままリールが聞いたことのない音を立てて、ラインが滑るように出ていく。止まらない。

 

「やばいやばいやばい!」

 

見てるだけでも恐ろしい引き。先のGTの比じゃない。

「パプアンバスじゃね?!」

「Black bass tidak. Barramundi busar!(パプアンバスじゃない、巨大なバラマンディだ!)」

「Tidak. Black bass busar!(違う、デカいパプアンバスだ!)」

ボートマン達のテンションも上がっている。本当にヤバいやつが食ってきたらしい。

 

だが掛けた場所が悪い。ストラクチャー絡みのシャローで、好きに走られている状態。しかし、そうは言っても相手がデカすぎて全くコントロールが効かないのだ。これ以上ないくらい締めたドラグを突破し、さらに押さえつける田山くんの指をも吹き飛ばしながら巨大魚は疾走していく。

田山くんがフルパワーでロッドを曲げ込んでいく。すると魚は流心側、私たちの方に向かって泳ぎ始めた。

 

「いいぞ!そのままこっち来てくれたらストラクチャーもないはず! 獲れるぞ!」

「そうだね、これは時間かけよう」

ボートのアシストもあり、時折走られながらも魚との距離は近づいていく。

やがて魚の真上まで来た時、違和感に気づいた。

「スタック(仕掛けが水中障害物に絡まること)してる……」

水中を覗くと大きな倒木が一本沈んでいた。

その後30分ほど、ボートの角度を変えながらどうにか外そうと試みるも、スタックが外れることはなかった。

 

 

苦悩と不自由の狭間で、夢が終わる瞬間を視る

この日の夕食はGTの素焼き。

否、炭。

限られた調理器具で中までしっかり火を通そうとすると、きっとこうなってしまうのだろう。

外側のダークマターを剥がし、内側だけ食べる。

建物の中でGTの丸焼きをしたせいで、荷物や衣類全てに炭の匂いが付いてしまう。

 

毎日の出発が昼前になってしまっていたので、明日は朝早くから出発したいと希望を伝えてみた。

老獪な巨大魚に口を使わせるためには、活性の高い時間にルアーを通すことが必要だと思った。

「朝食を食べてからでないと出発できない」

ボートマンは首を横に振った。

「雇った食事係に早く作るよう交渉してくれ」

「食事ができるのは9時だ。それより早くは時間がない」

どうせビスケットの袋を開けるだけじゃないか。

なんのための食事係だ、とため息が出る。熱量の差を如実に感じる。

 

その横で子供達がスナック菓子の袋を引っ張り合っている。案の定袋は破けて中身が散乱した。

袋をその辺に投げ捨て、掃除もせぬままにどこかへ消えていく。

代わりに野犬が集まり、落ちた菓子を貪っている。

 

私たちも何か食べようと食料のストックを見にいくと、すでに菓子は消え去り食料の残りも底が見えていた。

ほぼ釣ってきた魚と米しか食べていない。卵や野菜はどこに行ってしまったのか。

 

 

正直なところ、村での生活は最悪だった。

生活環境そのもの自体は全く問題ないが、村の民との関わりが厳しすぎた。

私たちは明らかに「金づる」だった。

 

「生命線」として用意したあらゆるものが奪われ、雑に消費されていく。

水、ガソリン、食料。その他の消費を抑えて購入を決意したあらゆるもの。

「念のためにもう少し買っていこう」「そこは削れない」と悩んだ末に買ったもの。

そんな苦悩を嘲笑うかのように、いつの間にかどこかへ消えていく。

 

ある日、釣りから帰ってくると水のボトル(20リットル)がまるまるひとつ消えていた。

問いただすと「2人が毎朝飲んでるコーヒーで終わったよ」と言う。

荒い嘘を吐く。

次々と、あまりにも気軽に消えていくそれらの物資に、我々がどれだけの想いを込めていたか。

 

体調不良の緊急時に備え購入した粉末スポーツドリンクの袋を開け、子供達が舐めまわしている。

 

確かに日本人は金持ちだ。

だからと言って、金を稼ぐことは決して「簡単なこと」ではない。

毎日を、命をすり減らして過ごしようやく稼ぎだした給料。

生活を削って生み出した僅かな余裕。

それを年単位で積み重ね、やっとの思いで捻出した旅の資金。

簡単なことでは、ない。決して。

 

コンクリートのジャングルで過ごす私たちの苦悩は、大自然のジャングルで生きる彼らには一生理解されないのだろう。もちろん逆も然り。

 

どちらが悪とか善だとか、そういう話ではない。

ただ、相容れぬのだ。

 

もちろん、そのスナック菓子を失ったとて、釣りに影響はない。粉末スポーツドリンクを食われたって同様だ。

ゆえに、もし「これちょうだい!」とか「ありがとう!」とかが一言あれば快く渡していただろう。

そのものの「価値」を理解されぬまま、当たり前の顔をして「奪われる」ことが嫌だったのだ。

 

だからって、どうする?

 

水や食料を奪い、スナック菓子をぶちまけても放置し、粉末スポーツドリンクを舐めて嬉しそうにしている人たちに、私たちが大切にしているものをどう説明する? 蛇口をひねれば安全で新鮮な飲み水がいつでもどこでも潤沢に手に入る私たちは、どの立場から何を伝えることができると言うのだ。何を理解してもらえると言うのだ。

 

「俺、iPhoneが欲しいんだ。今度来る時は買ってきてくれよ。日本ならいっぱい手に入るだろ?」

話したこともない若者に言われる。一体どれだけ厚かましいんだと、愛想笑いの裏で黒い感情が胸に渦巻く。

直後、その若者が欲しているのが「iPhone4」だと分かると、渦巻いた感情は行き場を失う。

 

誰も悪くないのだ。

カネを持っているのは事実で、「こうなってしまう」のは必然なのだ。

私たちがいくら「バックパックひとつ、ツアーなしの開拓弾丸釣行!」と言い張っても、私たちの基準では極限までの貧乏釣行だったとしても。

異国の辺境まで”釣りなんていう趣味を楽しむためにやってきた”私たちは、カネを見せつけている人間なのだ。

 

私たちのちっぽけな「夢への挑戦」は、村人たちの「日常」にかき消されていく。

 

現地のマンゴーを食べる。筋張って果肉と言えるようなところはほとんどなく、甘みも乏しい酸っぱい果実。私の知っているマンゴーとは全く異なる。

 

翌日の朝。

毎日のように村のどこかで爆音の音楽が流れているせいで圧倒的に睡眠不足だ。おまけに心労も重なり気力もどんどん削がれていく。限界が近づいているのを感じる。

家の前を行列が通っていく。先頭には椅子に座ったおばさんが、4人の若者によって掲げらていた。どうやら昨晩、暴力事件が「また」あったらしく、その関係で行進を行っているようだった。詳細は不明。もう聞き直すのも理解するのもしんどくなってきていた。

そして安定の昼前出船。もう別に驚かない。

ひたすらマンゴーを齧る。

この爽やかな酸味を感じている間だけは、少し気分が晴れるような気がした。

 

この頃になると、釣り自体は幾分か余裕が見え始めた。もう数は不要で、大物一発を求めるフェーズ。ゆえに前日、田山くんがモンスターサイズを掛けたのと同じルアーをチョイスして通すことに。

脳裏に焼きついて離れない、あの巨大な水柱を求めて。

ゴマフエダイとパプアンバス、混ざって釣れてくる二匹のフエダイ。

ダブルヒットした60cmクラスのパプアンバス。

 

この日は魚の反応が良かった。サイズは出ないものの、トップにどんどん魚が出る状態。仕舞いには初日の根魚まで水面を割る始末。何か条件が好転したのかもしれない。

大物狙いとはいえ、いくら小型でも魚が釣れてくれるとやっぱり楽しい。村にいる間は嫌なことがあまりにも起きるので、釣りをしているこの時間は癒しだ。

 

正直なところ、私はもう満足していた。

初日に70cmを超える大型のパプアンバスを釣り、圧倒的格好良さのクイーンフィッシュに憧れのターポン、10年想い続けたゴールデンバラマンディ、そしてアベレージを二回り超えるGT……

 

これ以上何を望む?

岸際のピンスポットにキャストが決まる。丁寧なルアーアクションで理想的なコースを通す、予想通りの場所で食ってくる。一連の流れを心ゆくままに楽しんでいたかった。

 

そして昼食。

日々現地民のような風貌となっていく。

 

やがて初日に良型のパプアンバスを釣った時間と同じタイミングになった。

しかし、いまいち気が乗らない。

もちろん集中力は持続しているし、現に魚も出している。

だけど、初日のような熱量はもう、ない。

 

十分に満足していた。

すでに”満ち”、”足りてる”以上「これよりいい結果」は想像できなかったのだ。

ジャングルの奥から涼しい風が吹いてくる。

Tシャツを濡らし、熱にひりつく肌を冷ました。

 

ボートは前日、前々日に実績のあったポイントを次々とランガンしていく。

 

この「実績ポイント」の中で、一箇所だけ特異な場所があった。

村の漁師が「ここは絶対にいる」と言っているポイント。我々もそれを信じ毎日2回、上潮と下潮の1回ずつ撃っているポイントがあった。しかし、得られた反応は0。この日の午前は一瞬流すだけで終わった。

 

午後、とりあえずそのポイントに向かうと、これまでとは明らかに雰囲気が違った。

本流に泥濁りの支流が流れ込むポイント。流れ込みの周辺には立木が水中ストラクチャーとして入っている。

支流の水量が多く、河口の周りは濁りが入っていたのだが、この日の午後は違った。本流のクリアな水と支流の濁った水がぶつかりあい、交わることなく水の層を作り出していた。そして、ちょうどクリアな水と濁った水がせめぎ合う地点と立木の位置が絡む。

 

初日にパプアンバスを釣ったポイントと重なる光景。いやむしろ、こちらの方が……。

「あ、今日これ、出るわ」

 

ルアーをディープダイバーに変更。濁りが入っていたから、ルアーを見つけてもらいやすいようストラクチャーにタイトに通したかった。

 

改めてポイントに向き合う。

集中力の高まりを感じる。

空気中に突き出た立木の形状から、水中の様子が透けてくるような感覚。

ルアーを落とす位置、通すコース、アクションを入れるピンポイントが”視える”。

キャストモーションに入る。

寸分のズレもなく、ルアーは狙ったポイントに吸い込まれていく。

ディープダイバーのリップが水中の立木を舐めるように進んでいるのが伝わってくる。

 

初日のパプアンバスと全てが重なる。

 

「ガツッ!」

予想通りのところで手元に伝わる衝撃。反射的にアワセを入れる。

想定外だったのは”これまで釣ってきた魚とは重量感が段違いだった”こと。

その瞬間、田山くんが前日に掛けたモンスターが脳裏によぎる。

咄嗟に再度アワセを入れる。直後、魚は反転し元の住処に戻るべく走り出す。

突進の気配を受けて、スプールを指で押さえ込んでロックする。魚の顔の向きをスピードが乗る前に無理矢理変えて、障害物のないエリアに向かって泳がせる。

 

全ての対処が反射で行われる。

まるで同じ価値観の友人と遠慮のない話をするように。

 

相手の動きに応じる、頭で考えるより先に体が動く。

暴力的なダッシュはドラグでいなし、甘く入った引きはスプールを抑えて受け止める。

 

「大きなパプアンバスを釣る」

そのために、こんな遠くまで遥々やってきた。

人生で二度あるか分からないチャンスに賭けて、“夢を叶えること”に挑んだ。

その実現がもう手の届くところに迫っている。

それなのに、どうしてだろう。

いつまでも、いつまでも、この瞬間に浸っていたかった。

 

80cmの大台に届く、20.5lbの大型パプアンバス。それはあまりにも厚く太く、短く見えた。

パプアで釣りをした、たった数日間の経験。

それらの経験は明確に技術となって、己の中に積み重なった。

過去最速のファイトで上がってきたのは、この旅の最大魚。

口元のルアーは90度に折れ曲がり、内部のワイヤーが露出していた。

手早くルアーを外し、リリースの体制に入る。

目が合う。深い緑色の輝き。

 

すぐに魚は水底へと帰っていった。

茶色の魚体がブラックウォーターに溶け込んでいく。

夢を追うそんな夢のような時間が終わりを迎える。

 

そして静かな水面だけが残る。

釣り人の、夢の終わり。

世界の果て、その瞬間の景色。

 

 

 

Epilogue:祖国の日常を想い、叶えた夢の行先を想う

この日の帰り道、今回の遠征で初めて海が荒れた。

小さなボートは空を飛び、波が船の内側まで押し寄せる。

一気に暗くなった空からは激しいスコールが降り始めた。

生暖かい雨が全身を洗い流していく。

どこか寂しさを感じた。

ただただ辛い

 

しばらく降り続いた雨は川の状況を大きく変えてしまった。

上流から濁りと共に巨大な浮き草が大量に押し寄せる。

私は、今回の旅が終わったことを悟った。

 

かろうじて反応のある小さなGTを揶揄いながら、ゆっくりとした時間が流れる。

もう十分だ。

 

 

 

 

村を去る日。

帰りの船には見知らぬ村人が10人以上乗り込んでくる。足を伸ばすスペースも無くなった。

私たちがチャーターした船、調達したガソリンを使って、ボートマンたちは最後のビジネスを企画したようだった。

もう今更、どうでもいいんだけどね。

 

エンジンが唸りを上げ、白い煙を吐き出す。

だんだん小さくなる村に「二度と来るか!」と悪態をつく。

 

 

二度と、“来れない”のかもな。

あまりにも長い、日本までの帰路を思う。

その瞬間、あれだけ苦しかった村での暮らしは鮮やかな色を従え、輝く。

ひりつくような太陽光線も今や心地いい。

 

村が遠く小さくなっていく。

代わりに日本での日常が近づいてくる。

仕事、対人関係、カネのこと、将来のこと。

煌びやかな文明の陰で澱む灰色の空気。

戻りたくないと思った。早く戻りたいとも思った。

波間の向こうで水面が爆発したような気がした。

 

帰りはエンジントラブルもなく真っ直ぐに街へと着いた。

タクシーを捕まえ、ホテルへと向かう。排気ガスの匂いが鼻に付く。エアコンの風が寒く感じる。

街でも有数のリゾートホテルに泊まった。それでも一泊5,000円だったが。

久しぶりの温かい真水のシャワー、シャンプー、石鹸。

清潔な寝具。文明の香り。

そしてWi-Fi。

文明最高

 

日本では大きな地震があって、実家に津波警報が発令されていたのを知った。

LINEに友人から、Slackには職場の方から安否確認の連絡が入っている。

「ジャングルの奥地に“いた”ので連絡遅れました。無事です」

「もういつでも連絡取れます」

 

帰りの飛行機を待つ間、近くに貯水池があるとのことで調査に行ってみた。

どうやらティラピアが釣れるようで、現地の方がミミズを餌に狙っている。

少し分けてもらい竿を出すも、特段成果はなかった。

水面を無数の小魚が飛び跳ねている。

そこらへんに落ちていたゴミで掬うと、どうやらグッピーのようだった。

日本で見る品種改良された個体とは異なり地味な体色をしている。

それでも、光を当てる角度を変えると様々な色に輝いてみせた。

すごく綺麗だと思った。

 

ガタガタと揺れるプロペラ機は首都に向かって飛び立つ。

パプアの街は点となり、緑一色となり、灰色の雲の下に消えていった。

やがて陽は落ち、夜がやってくる。

暗闇に包まれ、目を閉じる。

 

パプアで過ごした日々はこんなにもすぐに想い出となって、脳裏を駆け巡った。

本当に色々なことがあった。

ここまで全力で毎日を過ごしたのはいつ振りだろうか。

 

パプアの地では色々なものが輝いて見えた。

パプアンバスの瞳、ゴールデンバラマンディの大きな鱗、クイーンフィッシュの星、GTが巻き起こす水柱。そしてドブで掬ったグッピーでさえも。

今を全力で生きる者が放つ、眩しいまでの光。

生命の煌めき。同じように、夢を追いかける日々は輝いていた。

 

そして今、私は鉄の塊に包まれ、光のない世界を進む。

これは夢が叶った後の景色。

 

叶わない夢はいつしか消え去る。

叶った夢も等しく、その輪郭を残して消えてしまうことを知った。

 

過去の輝きに照らされて、未来が影に飲まれないように。

次の夢を想う。

 

おわり

 

 

パプアンバスを釣るためのタックルについて

ロッド

ピンポイントへのキャストを繰り返すため、最大7ft程度までのベイトロッドがいい。

ボートでポイントに向かうケースが多いと思われるので飛距離は不要。

根に向かう暴力的なファーストランを止める必要があるため、かなりパワーのあるロッドが必要。

一方でやや軽量なルアーを投げるために固い竿は少々不利かも。

よって推奨ロッドは

 

[Monsterkiss]

MX-∞ (Dear Monster)

 

[TRANSCENDENCE]

Enhance 65B+

 

リール

最大ドラグ値がとにかく高いものを選びたい。

パプアンバスを専門に狙っている方々はドラグを改造してよりパワーが出る仕様にしているとか。

最低7kg、強ければ強いほどいい。

他のスペックはあまり気にしない。普段から使用して、それぞれのルアーをピンスポットに投げられるブレーキ設定を熟知しておくこと。

 

ライン

PE6号にフロロリーダー100lbで通した。

ただ、今回はモンスタークラスの襲来を見てしまったから、PE8号+リーダー130lbまで上げてもいいかなと思った。

直線的な引っ張り強度でブレイクするというより、根ズレ対策。

そして「もし多少傷が入っていたとしても、フルパワーで引っ張っても絶対に切れない」と自信を持って強気のファイトを展開するための強度。

 

ルアー

ペンシルベイト、ディープダイバー、デイープクランクを必ず準備したい。

後はフローティングミノーなどでも釣れた。

 

それぞれフックとリングを可能な限り強化すること。ST-66クラスでも、掛かり所が悪いと曲がる。

貫通ワイヤー推奨だが、リング管でも「一応獲れた」。

アイが小さく強いスプリットリングが通らない場合、PE10号を束ねたもので即席リングを作って連結していた。

なお、太いラインと重いフックにより一部ルアーは動きが死ぬ。

特にシーバス用のフローティングミノーを持ち込む際は事前にテストすること。

[Monster Kiss]

・バンニェイロ

超おすすめ。常に「何かを起こす魔力」のあるルアー。

[デプス]

・DC400 CASCABEL

探れる水深もピッタリ。飛距離もそこそこ出るバランスのいいルアー。

貫通ワイヤーではないので強度に若干の不安あり。破損はしなかった。

 

[DUO]

・REALIS FANGBAIT

・REALIS FANGSTICK

専用ルアー。用意しておいて損はない。

 

[TACKLEHOUSE]

・BKF 115

言わずと知れた名作。太糸を使用してもしっかり泳ぐ。

 

[Rapara]

・COUNT DOWN MAGNUM 140

世界のラパラ。迷ったら採用。間違いない。