千年前にワープ。ピラルクが棲む三日月湖を旅する

千年前の琵琶湖で釣りをしてみたい。
千年前の北海道で釣りをしてみたい。
千年前の琵琶湖にはどんなコイが棲んでいたのか。
千年前の天塩川だったらチョウザメは釣れたのか。

憧れの魚“ピラルク”

ピラルクという魚を生き物好きな人なら知らない人なんていないだろう。
世界最大級の淡水魚であり、1億年前からその容姿を変えない古代魚である。
僕がピラルクと初めて対峙したのは、シンガポール・ウビン島の池で飼育されていたピラルクだった。

5ドル払えば餌やり体験をさせてくれるらしいが、ピラルクの姿は見当たらない。ボッタくりかとも思いながら、試しに5ドル払って餌を購入するとスタッフがバケツでバシャバシャと水面を波立たせ始めた。
すると、2mを優に超える巨大な影が僕たちの目の前にゆっくりと浮いてきたのだ。
口元に20cm程のアイゴを投げこむと、着水と同時に『ヴァンッ!』と水面が破裂した。

いつか…ピラルクを釣ってみたい

小学生の僕が受けたインスピレーションは文字に起こすまでもないほど単純なものだった。
カッコいい!強そう!綺麗!デカい!いつか、あの魚を釣り上げてみたい!
そして、僕は大学生になりピラルク釣りを体験することになる。

霞みゆく子供の頃の夢

今から10数年前、タイ国へプラー・シャドー(トーマン)を釣りに行く計画を立てていると、IT Monster Lakeという釣り堀の存在を知った。
トーマンやバラマンディといったタイ産の魚の他にも、コロソマやレッドテールキャット、アリゲーターガー、そしてピラルクまで放流されている夢のような釣り堀だ。
何度も釣られたピラルクは警戒心が高くて苦戦したが、結果的には初めてのピラルクを釣り上げることができた。
釣り堀とはいえ、ドキドキしたし、感動したのを今でも鮮明に覚えている。

以来、新しいピラルク堀がオープンするという情報を聞いて、オープン前に実釣させてもらい、トップウォータープラグやビッグベイトを使った釣りで良い想いをしたりもした。
毎年のように釣り堀でピラルク釣り上げるうちに、いつの間にかウビン島で憧れたピラルクという魚への想いが薄れていることに僕は気づかずにいた。

コロナ禍でピラルクへの想いが再燃する

ヒトの一生は実に短い。その僅かな期間の中で全ての魚を釣り上げられる訳もない。
僕にとって海外へ行けなかったコロナ禍の3年間は、“釣らずして後悔する魚”を考えさせられる期間でもあった。
『大切なモノは失いかけて初めて気づく』とかよく言うけど、いつか釣りに行けば良いや。そう思っていたアマゾンの大自然に生きるピラルクへの想いが、コロナ渦になり海外釣行ができなくなって再燃した。

パナマを出国し南米・ブラジルへ

1ヶ月という期間を用意し、ピラルクが棲む南米大陸のガイアナ共和国を目指した。飛行機の乗り継ぎで立ち寄ったパナマのスヌーク釣りはコチラの投稿でお話しした通りである。
アマゾンの玄関口とも言われるブラジルのマナウス国際空港に降り立ち、バスを乗り継いでガイアナ共和国を目指した。

赤土のサバンナを疾走する乗合バス

ガイアナは南米唯一の英語圏ということもあり、旅はとてもスムーズに進んだ。
ガソリンと荷物を屋根の上にたっぷり積み上げた乗合バスに乗り込み、目星を付けていた川へ向かう。
いくつかの村に目星を付けていたが、1つ目の村近くをバスが通過したのは深夜だった。
オフラインのgoogle mapを見ながらタイミングを合わせ、『ココで降ろしてくれ!』と頼むとこんな道端で良いのか?と、ドライバーに心配されたがお構いなしに下車した。

夜明けを待って入村する

道端の朽ちかけた小屋で夜を明かし、ニワトリの鳴き声がする方向を頼りに赤土の道を歩いて航空写真に写る村らしい場所を目指す。
途中、道路の整備に向かうという第一村人を発見し、自分が日本人であること、村長に会いたいことを伝えると快く村長宅へ案内してくれた。

村長との交渉も英語が通じるので実にスムーズに進んでいく。結論としては、村に2艇のアルミボートと2機のエンジンがあるから使用料を村に払ってくれれば使って良いとのことだった。
用意ができたら、トラックにボートを積んで川まで連れてってくれるとも言ってくれている。なんとも親切な村長に感謝。
肝心なピラルクは村の近くにたくさん生息しているという。

ピラルク釣りが始まる

『半日もあればピラルクは釣れるから今から行ってこい!』そう村長に言われて、村に到着したその日にピラルク釣りがスタートすることになる。
村長と値段の交渉をしているとゴム銃を持った若手2人組みが現れた。聞くと普段はジャングルで狩猟をしているらしく、ピラルクに限らず魚の居場所をよく知っているという。

釣り旅をしていると、自分の釣りの実力や運なんかよりも、ボートマンの知識と技量がよっぽど重要だということが身に染みて良く分かる。
良い釣果を出すためには、良い案内人と出会うことが何よりも大切なのだ。

餌がなかなか釣れない…

ガソリンを購入しにいくのに1時間ほどかかったが、お昼前には村を出発することができた。
ピラルクが棲むというポイントを目指す途中で、餌となる魚を釣り狙うのだが、これが中々釣れない。
南米までくれば、ピーコックバスが沢山釣れると思い込んでいたが、季節外れの増水によって状況は良くないことを悟った。
結局、タライーラを1匹釣るのに数時間も掛かってしまったが、餌は1匹で充分だと言って、ボートマンたちは焦る様子すらなかった。
彼らの落ち着いた姿をみて、本当にピラルクって沢山いるのかも。そう素直に思えた。

アマゾンの三日月湖はピラルクの楽園

ピラルクが沢山いるという場所は、ジャングルの中を流れる細流を縫うように走り抜けた先にあった。
南米ではラーゴやラグーンと呼ばれる、森の中の小さくて美しい湖だ。日本語で表現するなら三日月湖というのがもっともらしいだろう。
静寂なラーゴをオールの力だけでゆっくりと進んでいくと、ボートマンが30m先を指さしてピラルクを見つけたという。

僕も目を凝らして、静かな水面を観察していると5cm程度の小さな魚の群れが水面で波紋を立てているではないか(写真左上)。
すぐに、それがピラルクの稚魚だということを理解し、タライーラの半身を付けて投げ込んだのだが、結局ヒットすることはなかった。

ボートマン曰く稚魚守りのピラルクは釣り辛いらしく、30分程の間に親魚の呼吸を2度確認したところで、違うピラルクを探しに行くことになった。
ヒットこそしなかったが、親が子を守るというピラルクの本来の生態を目の前で観察することができて、危うく満足感に浸りそうになるほど、僕にとっては幸福なひと時だった。

ピラルクとの激闘が始まる

次のピラルクもすぐに見つかった。呼吸こそなかったが、ボートマンがピラルクの影を見たという方向にタライーラをぶん投げる。
待つこと数分、ゴンッという乾いた衝撃と共に、僕が夢見たピラルクとの闘いが始まった。
ファイト中にいくつかトラブルがあったが、僕とピラルクを繋いだ釣り糸だけは切れることなく、激闘の末に岸辺まで誘導することができた。

本当に初日で釣れるとは…

大きな魚体、美しい鱗、強烈なジャンプ、どれをとっても一生の思い出に残る素晴らしい光景であった。ひとつ、足りない事と言えば、現場での苦労くらいか。釣れた時の感動や興奮は、少なからず苦労に比例するという僕の価値観だ。それほど、ガイアナでの実釣初日は大成功に終わったのだ。

子供の頃から夢にみた環境に感動

勿論、ピラルクを釣り上げたことに大きな達成感や満足感を覚えたのだが、それ以上に、僕が生きるこの時代にピラルクが沢山泳ぐこんなに素晴らしい環境が残されていることに感動した。
ボートマン曰く、ピラルクが沢山棲むラーゴ(三日月湖)がこの近くにはいくつもあるという。
ダムや堰はおろか、橋すらも架からない手つかずの川。きっと千年前と比べて人間活動による大きな環境変化はないのだろう。


とは言え、千年後もこの環境が残っている保障なんてどこにもない。
僕は三日月湖のピラルクを釣り上げた時に、現代に生まれた幸福感を感じられずにはいられなかった。